なんだか胃が痛くて仕方ないので、昨晩は早く寝て、学校がある午後まで爆睡していたネジです、こんばんは。
ちょっとだけ気分はスッキリ。
ですが、胃は相変わらず痛くて、食欲もほとんどありません(x_x;)
まいったもんです。

 これを見た彼氏殿がさらに心配するのもまいったもんです(x_x;)

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 今日は学校があったのですが、今日の通学途中で考えていたことは、「絶対的と相対的」。
いや、難しい話ではなく。
要は、

かっきり捕らえるか、ぼんやり捕らえるか。

これを考えることになったのは、友人との電話での会話からなんですよ。
どうやら友人のさらに友人がこういうことをのたまったらしい。

「僕達は平和で恵まれている。
何故なら、障害者達をみてごらん。」

友人:「どうだと思う?それは違うって思わない。」

正直な感想。
「よっぽど恵まれたヤツなんだね、その人。」
とか思ったり。
友人はとても怒ったそうなのですが、考え方が悲観的過ぎるとかいろいろ言われたそうです。

わしに話しを回してくれればいいのに…。
とことん話してみたいです。
どうしてそういう考えにいたったのか、興味津々。

んー、でもこういう考えってよくあるんでしょうかね?
どこかを低い・高いと勝手に位置付けて、自分の位置を確定させるって考え方。
例えば、大きな話しに展開すれば、アメリカが言う所謂『人権』。
これは彼らが勝手に決めた権利であって、日本人が描く『人権』やアジア人が描く『人権』はちょっとばかし違う気がする。
例えば『正義』
これだって、どうだろ?
確かにどっかに拠り所が無いと、説明つかないことが多くなりすぎるだろうけど、んでも安易に拠り所を作るのはどうなんだろ?

というか、何か定義付けしすぎてかっきりと考えるのはどうだろ?
いいじゃん、ぼんやり捕らえれば。
捕らえることは大事だけど、捕らえるのはぼんやりでいいんじゃない?

などなど訳のわからないことをずっと考えていたわけです。
ま、まとまりはないんだけどね。

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 ラグナやってないですTT

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